私はフリーランスとして独立する少し前から、どっぷりと編み物の世界にはまっています。29歳の頃に独立したので、今年でちょうどフリーランス10年目。つまり、編み物歴もほぼ10年目になりました。
海外の英文パターンが入り口だった私にとっての編み物ワールド。
興味の赴くままに色々と手を広げた結果、編み物が仕事になったり、友達ができたり。今では原毛から糸を紡いだり、草木染めや化学染で好きな色の毛糸を作ったり、ただ”編む”だけでない世界にも足を踏み入れています。
好き、を超えた原動力は「手放したくない」という気持ち
原毛を洗って、糸を紡ぐ前。これが毛糸になり、セーターや帽子、靴下になる。
「羊が好き」
「毛糸が好き」
など、自分のモチベーションの原動力になっている要素はたくさんあるけれど、結局最後に残るのは
自分が生きる上で大切なものを手放したくない
という気持ちなのだとたどり着きました。
糸さえあれば、服が作れる。
羊毛さえ手に入れば(綿花でも、他の獣毛でも可)、糸が作れる。
庭木から、糸を好きな色にも染められる。
自分の手の中で、暮らしに必要なことを握っていられる安心感は、もしかしたら私の中でとても大きいのかもしれません。
先日山登りのために編んだニット帽と、以前羊毛から紡いで作ったアームウォーマー。
つい先日も、はじめて涸沢まで歩くと決めたとき。
パートナーと話していたのが、自分たちが持つサコッシュやスタッフバッグを作ろうということでした。夜寒いかもしれないから、帽子も軽くてしっかり温かいものが欲しいからメリノウールで編み、サコッシュやスタッフバッグはタイベックで手作り。
すでにある製品を買ってしまってもいいのだけど、自分で作れば万が一壊れても補修できるし、また作り直せるという気持ちが心の奥底にあるだけで、とても頼もしく感じていることに気づいて「そうそう、そうだよ」と思ったのです。
思い返せば人生の大切な選択はみんなそうだった
移住先として考えているとある島。暮らしと生きることを直結させたい。
振り返ってみると、大学時代に農業に興味を持ったきっかけも、これに近しい気持ちからでした。
食べるものが生まれる場所にいることの安心感。言葉にはできていなかったけれど、それを感じたくて農村に入った。
就職を考えるとき、農業関連の事業に取り組む会社に入ったのも同じ思いからでした。
なんでも「買う」ことで解決策を見出してしまう、超消費社会の東京という土地が自分に合っていなかったこともあり、地方に出た後も根本的には作ることに対する尊敬の念と、それに近い場所にいたいという思いはずっと続いています。
ーーいつかは食べ物を作る畑を持ちたい
ーー住まいも、自分の手で手直ししながら暮らしたい
まだまだできていないこともたくさんあるけれど、これからの人生の選択の軸になっていくんだろうな。
毛糸を売るとしたら
自分で染めた毛糸で編みかけの靴下。
さて、そんななか。
染色した毛糸を売ればいいんじゃないの?と編み物仲間に背中を押されています。今までも、細々とだけれどオーダーをいただいたニットを作ったりしていたけれど、毛糸を売ることについても少しずつ準備を進めています。
ダイヤーとして、手染め毛糸を仮に売るとして。
たくさん買ってもらうのではなく、自分がいいと思って染めている毛糸を、少しだけいいと思ってくださる方にお売りするーー。
結果的に、暮らしに直結する根っこの部分を自分も、そして毛糸を買ってくださった方も手放さずに済む暮らしができたら。
そんなスタンスでの販売活動ができたらいいなと思っています。
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昨日、今の私の価値観に、少なからず影響を与えてくださった恩師とも言える方、
農業ジャーナリスト・甲斐良治さん急逝の報を受けました。
メッセンジャーで同年代のHちゃんから一報を受けたとき
5分ほど、思考がフリーズし目の前が真っ暗に。
心の整理がつかず、信じられず、いてもたってもいられず部屋中をぐるぐると歩き回っていました。
深い喪失感で、1日経った今も、何かしていないと涙が出てきてしまいます。
昨年末に農文協を退職され、都内の住まいを整理されたのちに、ふるさと高千穂に戻られるとSNSを通じて知り
“コロナが明けたら、ふらっと車で高千穂まで甲斐さんに会いに行きたいな”と思っていたところでした。
まだ心の整理がつかないままだけど、
もしかしたら今のこの甲斐さんへの思いを電波に乗せれば、まだふらふらこの世を最後に見て回っている甲斐さんの魂に届くかもしれないと思いブログを書くことにしました。
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●甲斐さんとの出会い
甲斐さんと出会ったのは、大学時代。2005年か、2006年ごろのこと。
「農村への移住者が移住先で築く人的ネットワーク」をテーマにした卒業論文の調査を建前に(もちろんしっかりと調査と論文はしたけれど)、千葉県鴨川市にある鴨川自然王国でのイベントにお邪魔したときでした。
当時、自然王国が開催する「帰農塾」に農文協が発行する現代農業増刊号の編集長だった甲斐さんが講師として登壇。
日本中の農村で甲斐さんが目にし、耳にし、語り合ってきた、農的生活をされる人たちの営みを教えていただいたのが最初の出会いだったと記憶しています。
それ以来、鴨川や甲斐さんの魅力にすっかりハマり、午前中は農作業・午後は調査をしながら鴨川自然王国に住み込むことに。何回か開催された帰農塾で甲斐さんの話を何度も伺う機会を得て、その度に夜は焚き火を囲みながらお酒を呑みました。
思い返せば、大学の図書館で、甲斐さんが編集する『現代農業増刊号』を手に取ったのが、卒論のテーマを決めたきっかけ。
そういう意味では、最初から私は甲斐さんに導かれていたのかもしれません。
以来、大学を卒業して、東京で働き始めたあとも、赤坂(今は亡き、甲斐さんの旧友がマスターをしていたキングハーベスト)でお酒を飲んだり、なぜか年末に三線を発表させてもらったり。
当時付き合っていた彼氏と湘南でデートをしている最中に、絶対にもう酔っ払っている甲斐さんから電話がかかってきて「こんばんわ」「赤坂で飲むぞ」とヘベレケな呼出し。恋人を置いて、赤坂にかけつけたら、ベロンベロンで話にならないくて、仕方なくタクシーに乗せて自宅に送り届けたこと。
甲斐さんと過ごした時間は記憶の中では、ちょっとどうかと思うほど、いつも芋焼酎の香り。「こんばんわ(語尾が上がるのが、甲斐さん流)」「いえ〜い」というあの口癖とセットで思い出されます。
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●受け継いだもの
都市生活から、農村に回帰する若者たちをまるで親戚の甥や姪を見るような眼差しで見守り、語っていた甲斐さん。
当時まだ20代だったペーペーの小娘の私に対しても
とても優しく、そしてあたたかく、接していただきました。
「今のままの生活でいいんだろうか」
「このまま大学を卒業して、就職していいんだろうか」
就職した後も「こんな仕事をしていていいんだろうか」と
迷いや葛藤を抱える私に、ときに焼酎片手に、優しく・叱咤激励しながら接してくれた甲斐さん。
実際に農村に入り、農的暮らしをされている実践者の皆様や、高名なジャーナリストの皆様と比べたら、そんな大層な話もしていなかったと思いますが、
「農的暮らしのなかに、私たちが忘れてきたものがある」
「小は大を兼ねる」
「田舎で男たちは問題を語るにあたって、口を動かす。女性は面白いことに、身近な料理や手作りの品を手を動かして作り、この土地で生きる道を見つけていく」
「農山漁村の“遊び仕事”は、自然と労働と身体の調和の指標なんだ」
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「こんばんわ」
「いえ〜い」
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まだまだ、思い返せばキリがないのですが、
生き方の指針として、甲斐さんから教えてもらったことは本当にたくさん。
これから人生の岐路で自分が下す決断は、きっと甲斐さんの言葉をヒントにするのだろうと思います。
そして、間違いなく、今の自分がひょんなことから始めた編み物で
糸を紡ごうと思ったのも、染めてみようと思ったのも、
あの頃、甲斐さんに教えていただいたことが心の深いところに残っていたから。
SNSに編み物の投稿をすると、東京を離れて以来ご無沙汰になってしまっているにも関わらず
「いいね」をくださった甲斐さん。
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都内の自宅で息を引き取られた日の夜。
ご実家の宮崎県で起きた地震を受け、高千穂に暮らすご両親・ご兄弟が皆無事、とSNSで投稿をされていました。
ああ、よかったと思っていた矢先の訃報。
本当に残念でなりません。
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最後にお会いしたのは、なんだかしっくりこなかった東京生活をもう辞めようと決めたとき。
議員会館にお世話になった方に挨拶に行った夜、「甲斐さんもいるからキングハーベストで呑みますか?」と誘っていただき、足を運んだのが最後でした。
今、私の暮らしに「農」の要素は本当に少ししかありません。
ライスワークとライフワーク
思うようにできていないのも事実。
でも、小さくてもいいから自分のなりわいを作っていくという道は、続いています。
いつかは羊を飼って、自分で紡いだ糸を売って、
編み物で世界と繋がれたら。
そんな夢を、甲斐さんにお会いして話したかった。
甲斐さんは、どんな顔をして聞いてくれるのでしょうか。
甲斐さん、いくらなんでも、少し旅立ちが早すぎませんか?
まだ66歳です。
みんなが寂しがっています。
でも、今頃空の向こうで、大好きな美味しい芋焼酎をたらふく飲みながら
「こんばんわ」「いえ〜い」と言っているのかもしれませんね。
どうぞ安らかに。ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。
最後に。
甲斐さんが、現代農業増刊号 2007年9月号で綴っていた言葉を転載します。
「消費者」が大量に生まれたのは大量生産・大量消費の時代になってからである。それ以前、都市に住む人々も食事をつくり暮らしを創造していた。「消費者」が「消費者」のままでは、ますます市場主義・グローバリズムに巻き込まれてしまう。自らの食と身体の当事者性さえ奪われる。農業は暮らしを創造する営みである。農村空間から都市への働きかけの新しい段階、それは、ともに地域に、日本に、地球に生きる「当事者」として、「暮らしの創造」を取り戻すことではないだろうか。
ーー(農文協の主張 2007年9月号『「消費者」から「当事者」へ農村から都市への働きかけ―その新しい段階』)
https://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2007/200709.htm
10年以上前に綴られた言葉とは思えない、甲斐さんの視点です。
小さきに、弱きに寄り添う。小さきもの、弱きものの強さを見出す。甲斐さんのそんな在り方を、ちっぽけな私も私なりに、受け継いでいきます。
最近は、仕事の方が忙しくて、1週間で編む時間は寝る前に数段。
本当に疲れた日は、糸を手に取るパワーすらない、なんてこともある毎日。
(実は、本業はニットではなくフリーランスでライター業を営んでいます。)
そんななかでも、大好きなフランスのニットデザイナー、 Orlaneさんの新しいパターンのテストニットをさせていただく機会がありました。
※Ilha のパターンはこちら→
https://www.ravelry.com/patterns/library/ilha
※OrlaneさんのInstagramはこちら
https://www.instagram.com/tete_beche/
“ilha/島”という名前を持つこのセーター。
襟口から裾に向かってトップダウンで編み進めていくパターンなのですが、
よくセーターで陥りがちな「メリヤス砂漠で挫折」の罠にハマるリスクが少ない(笑)デザインでした。
※メリヤス砂漠とは、メリヤス編みのパートがひたすら続くことを指す言葉(なんて定義してしまっていいのだろうか)。
結構メリヤス砂漠でプロジェクトがストップするなんてこと、よくあるのです。
ウェアは2週間〜1ヶ月ほどかけて編むことが多く、その期間向き合うわけだから、自分がごきげんになれる糸を選ぶことが、ワタシ的長続きの秘訣。
今回は、初夏を楽しめるように、手染めの淡いグリーンの糸を選びました。
話は戻って。
忙しい日々で編む時間を見つけるのも結構大変だったりしたけど、テストニットの期日は迫るわけで…。
ちょこちょこ時間を作って編んでいたのですが、やっぱり毛糸に触れる時間が1日に1時間でもあると、気分がスッキリ。
黙々と手を動かしていると、嫌なことも(楽しいことも)、すっぽりアタマの中から消えて、瞑想をしたみたいな感じになります。これがいわゆる、マインドフルネス瞑想?なんてふと思ってしまうくらい。
といっても、きちんと瞑想なんてしたことはないのですが。
嫌なことがあってふて寝するよりも、ずっとごきげん効果は高いはず。
編み物にハマるニッターの皆さんも、きっとそうなんじゃないのかな。
だからこそ、忙しいときほど、手の中には編み物を。
今夜は何を編もうかな。